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甘い生活・4



「ほらほら、飲み過ぎだよ」

「誰のせいだと思って……触らないで!」

背中をさすってくれる玲都の手を、チヨコは振り払うが、

彼は気にせずに、そのまま介抱した。すると結局、チヨコもその方がラクなので、ぐったりしたまま、

しばらくは動かなかった。

「大体、プロの歌手たるもの、体に悪いことはしちゃいけないなぁ。かの藤山一郎先生は、

 あの歌声を守るために、酒も煙草もやらず、徹底した節制を心がけたっていうよ」

「悪かったわね……あたしは酒も煙草も、ガンガンやるわよ。どうせいつも、二日酔いの朝

 みたいなガラガラ声なんだから…」

また水が飲みたくなって、顔を伏せたまま手探りでグラスを探すが、玲都がそれを取ってくれた。

「……どうも」

相変わらず状況は変わっていないのだが、落ち着きを取り戻したというのか開き直ったのか、

チヨコは大声を出すのをやめていた。玲都の方が、妙に冷静な態度だったからかもしれない。

だがそんな時、彼の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

「俺、チヨコさんのヒモになりたいんだけどさ。ダメかな」

グラスに口を付けていたチヨコは、ブッと吹き出した。

「えぇっ!?」

咳き込みながら、いつの間に隣に座っている玲都の、真面目な顔を見た。

「そう言うと語弊があるけど、要は、ここに置いてもらえないかなってことなんだ」

「じ……じょーだんじゃないわよ、何であんたを居候させなきゃならないの!」

「ほらほら、また気持ち悪くなっちゃうよ」

チヨコはしゃっくりと咳を繰り返し、玲都に宥められた。

「ずっととは言わない。でも今、俺、今、行くとこなくってさ」

「て……店長に雇われる時、まさか『住所不定』とは言わなかったんでしょう?」

「いや、一応、『友達の家に居候してます』とは言ってある」

あのテキトー店長……。チヨコは頭を抱えた。

「掃除洗濯とか炊事もするしさ、ソファーで寝られれば充分だし」

「良くも知らないオトコに、自分ちに居られたら気持ち悪いわよ!」

「大丈夫だよ。俺、チヨコさんのこと絶対に襲ったりしないから」

「……どうせ年増には興味ないでしょうよ」

ケッとチヨコは吐き捨てるように言うと、玲都は、

「俺、チヨコさん大好きだよ? でも、エッチすると、何だか近親相姦みたいな気分に

 なりそうだからさ」

「近親相姦? 何よ、あたしが母さんに似てるとでも言うの?」

「違う」

「じゃ、姉さんとか?」

「いや、兄貴」

その言葉に、チヨコはずっこけた。

「……どおせ私はオトコ顔だよ」

「気を悪くしないでよ。チヨコさんは可愛いと思うよ?」

「あっそう……」

もう、何を言われても良いよという気分になって、

チヨコはグイッと水を飲み干した。そして一息つくと、床に落としたままのバッグに手を伸ばし、

煙草を取った。

「ねぇ。何であのおじさんとうまくいかないの?」

イキナリ弱みに突っ込むような、取り繕わない質問をされて、酔いが落ち着いてきたチヨコは、

またピキッと青筋が立った。つけたばかりの煙草をもみ消す。

「……プライベートなことに、口出ししないでくれる」

「だって、あのままじゃおじさんも可哀相だしさぁ。何やってんだろって感じだよ。

 お互いイイ大人なのに、チヨコさんガチガチで、スキが無くって。エッチするまでに、

 あと三十年くらいかかりそうだよ」

「あんた、お上品なツラさげて、下世話な言い方するんじゃないのっ」

チヨコは、怒ってはみせたものの、彼が言っていることがひどく核心を突いていることは

分かっており、内心ズキズキしていた。計算なのか天然なのか、玲都の無邪気な突っ込みは、

チヨコを無防備にしていた。

「やっぱり……このままじゃ愛想つかされちゃうかな」

溜息のように、チヨコが呟くと、間髪置かず、

「うん、そう思うよ」

「……」

ギロッと玲都をにらむが、本当にそう思うのだろうから、咎めるようなことはないし、第一、

玲都も気にはしない。

「あの人がヤクザだから二の足踏んでるの? ヤクザの情婦みたいになるのが嫌で」

「それは……そういうことは、あまり考えてない」

「じゃあ、どうして?」

疑問をのぞき込む子供のように顔をのぞき込んでくる玲都に、チヨコはまた酔ったふりで、

肘掛けにもたれた。

「……まどろんでいたいのよ。もう少し。夢見ていたいのかもしれない」

ひととき少女の頃の甘い夢に漂おうとするチヨコの気持ちを、完璧に無視するかのように、

玲都の容赦ない言葉が降り注いでくる。

「年食っちゃったから臆病になってるだけじゃないの? 夢なんて、独りで見てたって

 マスターベーションでしかないよ。それよか、さっさとおじさんとベロベロにスウィートな

 お付き合いして、ウキウキハッピーした方が、ずっと建設的だと思うな」

「うるっさいわねぇ〜、いちいちー!」

素面(しらふ)だったらケリ入れてやりたいくらいムカムカしたが、玲都の淡々とした言葉は

更に続いた。

「せっかく今、チヨコさん好きな人が居て、あっちも好意持ってるのに、そんな時にまどろむも

 何もないでしょう。そんなの、ばーさんになって、棺桶に入ってから幾らでもまどろんでりゃ

 良いじゃないか。今、自分が女として綺麗な時をムダにするなんて、ナンセンスだね」

「オトコには、分からないのよっ」

「分からないよ。でも、俺の言ってること、違う?」

「……」

チヨコは、ずっと顔を伏せたままだった。そして、ポロリと出た呟き。

「――自分に、自信がないのよ」

「はぁ?」

しばらくの沈黙の後にこぼれた言葉に、玲都が怪訝な顔をした。

「……私、自分に自信がないの。だから不安なのよ」

「あれだけあっちの好意ミエミエなのに?」

チヨコは、ふう、とウェーヴのかかった長い栗色の髪をかきあげるように、顔を上げた。

「だって…あの人にとって一番の女性には、とてもなれない気がするもの。これまであの人と

 居た女性達の記憶の中で、自分がうずもれずにいられる自信なんて……ない」

ほとんど、自分自身に呟いたような言葉だった。

ふと我に返ると、隣の玲都と目が合い、

「何でアンタにこんなこと話さなきゃならないのよ!」

「チヨコさんが自分で勝手に喋ったんじゃないか……」

逆ギレされて、玲都が肩をすくめた。それもそうだ、と思ってか、チヨコもそれ以上絡まなかった。

こうしていると久々に、家族と団らんしているような気分になっていたし、チヨコの口調も、

酔っぱらって弟に駄々をこねているようなものに似ていた。

そんな彼女に説教でもするかのように、

「いかんね、チヨコさん。暗いよ」

「何が暗いのよぉ」

「俺、チヨコさんの歌、すごく好きなんだけど、気になってたのがね。暗い歌が多すぎる

 んじゃないかってことなんだよな」

一瞬、チヨコの動作が止まったのは、思い当たるフシが有ったからだろう。

だが彼女は煙草に手を伸ばすと、一服してから、

「そういう歌なんだから、仕方ないじゃない」

「でも、もっと明るい歌で良い歌だって、沢山有るんじゃないの? だってさぁ、若い恋人に

 捨てられる年増女の歌なんかばっかり歌ってて、何が面白いワケ?」

「……マジで怒るわよ」

ふぅーっと長い煙を吐いて、チヨコは玲都を横目で見据えた。

彼は相変わらずとぼけた真面目顔で、

「折角恋してて、その人がチヨコさんの歌を聴きに来てくれてるんだよ?  あのおじさんに、

 思いっきり胸の内ぶちまけるつもりで、『好きです』って、歌っちゃえば良いじゃない。

 口で言えなくても、歌なら言えるだろ?」

「どーしてそんな乙女な発想が生まれてくるワケ? アンタの頭の中から」

チヨコは心底呆れたように呟いたが、ちょっぴり想像してみて、赤面した。

それを悟られないように、また顔を伏せながら煙草をふかした。


「……あんた、何でアタマ銀色なの?」

ちょっと話題に小休止が欲しくて、チヨコは何となく聞いてみた。

「チヨコさんは何で茶髪なの? 元ヤンキーだから?」

「……分かったわよ。特別な意味はないってことね」

チヨコが言うと、玲都は自分の短い前髪をつまんで、

「いや、前に居候してたのが美容師のとこでさ。『似合うよ』とか、一週間ごとに髪、

 変えられてたんだ。これもそいつにやられた」

「女の子?」

「いや、オトコだけど」

「……」

何か言おうかとも思ったが、やめた。それよりも、ふと見やると、彼の髪の先が光に透けて、

キラキラと雫を含んだように映り、綺麗だなと思った。そんな時、彼と目が合った。

繕わない、陰のない瞳だった。

「チヨコさんは、もう何年くらい歌ってるの」

「これでもキャリアは二十年近いのよ」

誇らしげに、ふふん、とチヨコが言うと、

「そんなトシいってるんだ」

「アタシは中学の頃には、潜り込んで店で歌わせてもらってたのっ!!」

「何もムキにならなくても……」

またチヨコが噛みつくように怒ったので、玲都が苦笑した。



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